東京都内のスーパーで品薄となったコメの商品棚=2024年8月
東京都内のスーパーで品薄となったコメの商品棚=2024年8月

 ものには「適正な価格」があり、売る側と買う側の信頼で成り立つ。大げさに言うとそれが社会の平穏を支えている。例えば日本人の主食のお米。買い占めで信頼がゆがむと江戸時代には打ち壊し、大正時代には内閣が吹っ飛ぶ事態に発展した。

 歴史の話と高をくくっていいものだろうか。昨年の「令和の米騒動」の一件だ。原因が農家にあったわけではない。きっかけは8月の南海トラフ地震臨時情報。安売りスーパーに客が殺到し売り切れの様子がネットで広がり大騒ぎになった。

 豊作の年に流通機構の欠陥から生じたパニックだ。その後、コメの価格は上がったが、それは20年前の水準に戻っただけ。肥料、燃料などの生産コストは高騰し、長年の赤字からやっと一息つけただけだと、農家には複雑な思いが広がった。

 喉元過ぎればすぐ忘れるのが消費者心理だが、のんきに構えてはいられない。農業従事者の減少で早晩、コメを作る人がいなくなる怖れがあるという。戦後のコメ不足からコメ余りを経て、輸出品と引き換えに外国産米を輸入してきた日本。自国のコメは安定供給の瀬戸際にある。

 適正とは生産コストが価格に反映されることをいうが、この当たり前が通っていない。コメ作りを失うことは農村を失うことにほぼ等しい。いま一度「適正」の意味を考え、コメ作りの根っこをしっかり守っていくのが、地方に住む者の役割なのだろう。(裕)