落書きの教科書と外ばかり見てる俺-と『15の夜』で歌った尾崎豊さんはどんな落書きを残したのだろう。安直に考えれば学校や社会への反抗、自分という存在への不安か。いや「反逆のカリスマ」の落書きは、もっと哲学的なのかも知れない。いずれにせよ教科書が紙だからこそ、聴く人の想像をかき立てる。
時代は変わり、教科書にもデジタル化の波が押し寄せている。文部科学省は、紙の「代替教材」であるデジタル教科書を正式な教科書に位置づけ、紙とデジタルのどちらを使うかは各教育委員会が決める選択制を検討していると明らかにした。早ければ2030年度から導入するという。
デジタルの有効性は言うまでもない。音声読み上げや動画視聴で理解が深まり、子どもの特性や学習進度に合わせた学びも可能になる。重すぎるランドセル問題も少なからず解消されるだろう。
一方で過度なデジタル化は、集中力や記憶力の減退をもたらすとの指摘がある。世界に先駆け進めてきたスウェーデンでは子どもの読み書きの能力が低下し、再び紙へと回帰している。幸いにして後発の日本。可能な限り客観的なエビデンスを集めて判断しても遅くはないだろう。
デジタル化は避けられないが、「デジタル至上主義」で突き進む事態は避けたい。優先すべきは子どものより良い学び。漠然と流され、追従する怖さは尾崎さんの歌が教えてくれている。(玉)