広島は6日「原爆の日」を迎えた。長崎も9日、鎮魂の祈りに包まれる。昨年同様、新型コロナウイルスの影響で、亡くなった被爆者を追悼し平和を祈る式典は規模が大幅に縮小された。
76年前、米国が投下した2発の原子爆弾は1945年末までに約20万人もの命を奪った。爆心地周辺では、数千度の熱線に焼かれ、わが身に何が起きたのかも分からないまま、最期の言葉すら発する間もなく非業の死を遂げた無数の被爆者がいた。
また原爆特有の放射線は生き残った被爆者の心身をむしばみ、白血病やがんなどの原爆症がもたらす「遅れてくる死」は多くの人々を悲痛と恐怖のどん底へと突き落とした。放射線は母親の胎内に宿った命にも容赦なく、無辜(むこ)の被爆者が今なお、肉体的・精神的苦痛を余儀なくされている。
「私のいつもゆきつくところは、原子爆弾を投下したアメリカへの憤りではなく、この悲惨さを知りながら、あえてこれを行った人間の心の恐ろしさであった」
自ら被爆しながら「原子野」で多くの被爆者を治療した長崎の医師、故秋月辰一郎が著書にこう刻んだように、生身の人間に核兵器を使うことは狂気の沙汰だ。それは人間道徳の退廃であり、人間性そのものの否定に他ならない。いかなる理由を並べても、秋月が「未知の巨大な悪魔」と呼んだ原爆を含む核の使用は絶対に正当化できるものではない。
そんな核兵器の非人道性に立脚し、開発や製造、保有、使用、使用の威嚇を禁じた核兵器禁止条約が今年1月に発効した。来年1月にも初の締約国会議が開かれる。
「ヒバクシャ」の文字が記された同条約は「地獄のような体験を二度とほかの誰にもさせてはならない」(昨年の長崎平和宣言)と核廃絶を訴え続けてきた被爆者の反核哲学の結晶だ。
にもかかわらず「唯一の戦争被爆国」の政府は将来的な条約加盟の意思を全く示さず、被爆者らが求める締約国会議へのオブザーバー参加にすら二の足を踏む。その最大の理由は、同盟の盟主・米国が日本に差し掛ける「核の傘」だ。
日本世論調査会の最新調査では、条約に「参加するべきだ」とした人が71%、オブザーバー参加を求める声も85%だった。
地球環境への甚大な被害を考えても到底使えない核兵器に依存する安全保障に持続可能性はない。菅義偉首相はオブザーバー参加を決断し、核への依存度を下げる具体的方策を米国と協議しながら、「傘」から脱却する将来像を構想すべきだ。
被爆者援護の拡充も急務の課題だ。政府は「黒い雨」訴訟で、一審に続き原告全員を被爆者と認めた広島高裁判決に関し、上告を断念したが、放射性降下物による内部被ばくを過小評価する姿勢に大きな変化は見られない。被害を訴える人たちに残された時間は少ない。方針を改めてほしい。
「なぜ原爆が落とされたのか。知らなければ同じ事が起きる」。戦争と原爆で孤児となった広島の被爆者、高品健二さん(84)の言葉だ。
今年3月末で被爆者健康手帳を所持する被爆者は12万7755人で、平均年齢は83・94歳。近年、約9千人の被爆者が毎年逝去している。先の戦争と被爆体験の継承も被爆国の政府と国民に課された特別な責務だ。