「算数の九九、漢字の書き取り 体育のとび箱 できることもあれば できないこともある でも、きみはきみだ」
入学式から卒業式まで、子どもたちが四季折々の活動に取り組む姿を描いた写真絵本です。「きみはきみだ」という表現は作中に7回も登場します。しかし、主人公に聴覚障害があるとは、何も知らずに読むと気づかないかもしれません。
「みんながおなじじゃないから ごちゃごちゃいろいろ へんなやつがいっぱいいる でもだからこそ この世界はおもしろい この世界で生きることはおもしろい」

入学式の写真で、手話を使う女の子に気づく人もいるでしょう。一方、補聴器を付けた子は写っていないようです。聴覚障害者には生まれつき耳が聞こえない人、事故や病気などで聞こえなくなった中途失聴者、特定の音域や音全体が聞こえにくい難聴者などさまざまな人がいます。補聴器や人工内耳の技術が進歩しても、聞こえの問題が全て解決するわけではなく、コミュニケーション手段は手話や口話、指文字、筆談、空書、身ぶりなど多様です。
手話は指や体の動き、表情で思考や感情を伝え、理解するための言語。重要な手段ですが、かつて聴覚障害者は聴者(聞こえる人)のように話すことが求められ、口の動きを読み取って発話する教育が行われ、手話は制限されていました。
しかし、手話は聴覚障害者の第一言語で、日本語や英語と同じであり、2006年の国連障害者権利条約や11年に一部改正された障害者基本法で、手話は言語だと明記されました。理解が深まり、各地で手話言語条例が制定されました。
「きみはきみだ 世界にたったひとり きみであることのできる人は きみしかいない だれも きみのかわりにはなれない」
本作は聴覚障害のある子どもの学校、東京都品川区の「明晴学園」が舞台ですが、本文には明記されていません。障害があるかどうかは関係なく、「きみはきみだ」というメッセージが読者自身に送られたものだと受け取れるよう、意図したのでしょう。あとがきにはこうあります。
「自分が、自分らしく生きること。あたりまえのことがあたりまえにおこなわれるようになったとき、子どもは子どもらしくなります。写真に写っているのは、ろう児というより、自分らしく生きるようになった子どもたちの顔なのです。」
障害の有無に関わらず、人格と個性を尊重し支え合う共生社会の実現に向け、手話を含む多様なコミュニケーション手段で、誰もが「きみは きみの主人公として この世界に語りかける」ことができるのです。