雑草は踏まれても踏まれても真っすぐに立ち上がる-。過酷な境遇や困難な環境にへこたれず、はい上がろうとする根性論によく持ち出される。「これは間違いだ」と地元企業の経営者が、集まった社員を前に話すのを聞いたことがある。
雑草は何度も踏まれると、茎を倒して地面をはうようにして伸び、花を咲かせる。踏まれるダメージを最小限に抑えながら、種を残すための手段だという。経営者のメッセージは変化の大切さだった。
植物たちが芽吹き始める春は、門出の季節でもある。まもなく社会人としての一歩を踏み出す若者に求められるのは自在に形を変化させる、しなやかでたくましい雑草魂なのだろう。
踏みつけるのが教育とばかりに威圧する上司は、今の時代もう見かけないかもしれない。とはいえ、誰しも慣れない仕事につまずき、壁にぶち当たる。目立つ同期の陰で光が当たらないと感じることもあろう。雑草に習えば、何もかもうまくいかない時は無理して伸びようとしなくていい。冬の寒い時期は地下の根をぐんぐん伸ばし、栄養分を蓄えて芽を出すタイミングを待つ。
朝ドラのモデルにもなった植物学者の牧野富太郎は<雑草という草はない>との言葉を残した。入社してすぐは「新人さん」と十把ひとからげに呼ばれるかもしれないが、そのうち顔と名前を覚えてもらえる。自分らしく伸びれば、いつか花を咲かせる日が来る。(史)