高橋雅夫編著「守貞謾稿図版集成」(雄山閣出版)。挿絵を抜き出し、参考図版を補って2002年に刊行された
高橋雅夫編著「守貞謾稿図版集成」(雄山閣出版)。挿絵を抜き出し、参考図版を補って2002年に刊行された

 時間はたっぷりある老父に、箇条書きでいいから家の歴史や先祖の人物像をまとめるよう勧めている。私たち子の代でそれらの情報は乏しく、後世の茶話のネタにでもなればとの思いからだ。

 まるでスケールが違うが「専(もっぱ)ら民間の雑事を録して子孫に遺(のこ)す」として江戸時代後期の江戸と京都、大阪の風俗や事物を記録した『守貞謾(まん)稿』は、喜田川守貞が35巻の大作を30年かけて1人で完成させた。着物の流行、家の造り、食事に芝居、歓楽街…。ありとあらゆるものを東西で比較し丁寧に描いた大量のイラストと解説で、当時の庶民の暮らしが生き生きとよみがえる傑作だ。

 守貞を特集した雑誌で「開くたびに発見がある」と称賛した法政大名誉教授で江戸文化研究者の田中優子さんは、同書からも見える江戸後期の生活を、節句行事や水道システムなど現代とつながるものが現れてきた一方で、人の様子は大きく異なると指摘する。

 江戸の人は創意工夫が得意で季節の行事を楽しみ、幸せそうに笑っている。なぜかと言えば時間があるから。良くも悪くも「役割社会」で、その日の仕事が終われば自由。町人も俳諧を詠み、歌舞伎を楽しむ。文化は遊びで身近にあった。何より限られた資源を効率的に使う循環型社会に生き、「足るを知る」人たちだったという。

 物質主義がはびこる現代のせわしない年度替わりに、その精神性を取り戻せないかと思案する。(衣)