「第12回ちゃぶ台がえし世界大会!?」で、ちゃぶ台をひっくり返す女の子=2018年6月、岩手県矢巾町
「第12回ちゃぶ台がえし世界大会!?」で、ちゃぶ台をひっくり返す女の子=2018年6月、岩手県矢巾町

 昭和の改元から100年を迎えた今年「昭和レトロブーム」も加わり当時の暮らしがクローズアップされている。大恐慌から世界大戦に至る前半と、高度成長の後半という、昭和は貧しさから豊かさへ極端に振れた時代だった。

 その振幅は生活文化を一変させた。白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が庶民の「三種の神器」となり、右肩上がりの人口を受け止める団地が出現。衣服も小ぎれいになった。しかし、日本人の衣食住で大きく変わったのは「食」ではなかったか。

 日本は戦後の食糧難からコメの自給を回復させ、やっと腹いっぱい食べられる国になった。しかし洋食、飽食の流れでコメ離れが進み、1962(昭和37)年のピークを境に、国民1人当たりのコメの消費量は6割も減り、今では1人1日140グラム、茶わん1杯分しか食べていない。

 昭和37年に話を戻すと、コメの店頭価格は5キロ490円。サラリーマンの年収は2024年までに10倍になったので、現在価格に直すと5キロ4900円に相当する。以後数年間、米価は上昇したが、普通の家の台所経済は柔軟に受け止めた。

 昭和は生活の中心にご飯があり、主食として日本の胃袋を支えた。居間に和食が並ぶちゃぶ台があり、家族のだんらんがあった。やっとつかんだ昭和の安心をありがたいとも思わず「ちゃぶ台返し」をしてこなかったか。きょうは「昭和の日」。胸に手を当てて考えてみる。(裕)