アフガニスタンの世界的な仏教遺跡・バーミヤン大仏が、イスラム主義勢力タリバンの手で破壊されたのは2001年だった。爆破の映像が衝撃的で記憶に残っている。
遠い国の話と思うこと勿(なか)れ。倒幕を果たし誕生した明治新政府は神仏分離令を布告し、これを端緒に寺院や仏像・仏具を打ち壊す廃仏毀釈(きしゃく)が各地に吹き荒れた。この蛮行により失われた文化財は数知れない。
益田市染羽町の染羽天石勝神社を管理する別当寺だった勝達寺も廃絶に追い込まれた。廃寺となり野ざらし同然となった仏像を不憫(ふびん)に思ったのだろうか、保護した人がいた。名を斎川定祐という。下種村(現・益田市下種町)の庄屋で、後に島根県会議員や村長を務めた。世情からすれば身に危険が及んでもおかしくなかったはずだ。
遠い過去の話と思うこと勿れ。続きがある。斎川は製紙業を興して上京した後も仏像を大事に守り、晩年移り住んだ鎌倉で縁ができた寺に1912(明治45)年寄進した。これが神奈川県鎌倉市にある極楽寺所蔵の重要文化財「木造不動明王座像」。益田市の島根県立石見美術館で開催中の企画展で、里帰り展示されている。
斎川がなぜ、どのように仏像を救い出し、守り抜いたのか記録は残っていない。仏像のみぞ知る。その姿や表情をじっくりと拝観し、歩んだ歴史に思いを巡らせたい。守り継がれた地元の宝に巡り合えるこの機会を逃すこと勿れ。(史)