夏目漱石が英語教師だった当時「アイラブユー」を「月がきれいですね」と訳して教えたのは、「我君を愛す」との直接的な表現は日本人にそぐわないとの理由から。文豪が残したロマンチックな愛の伝え方は、ドラマなどで引用される。
ただ、この逸話の真偽は不明。ドイツの文豪ゲーテの啓蒙(けいもう)的な言葉「もっと光を」も「戸を開けてくれ」と続き、実用的な会話だったとされる。
言葉は切り取られ思いもよらない方向へ行くが、人生に影響を与えることも多い。ゲーテが『色彩論』で記した「色彩は光の行為であり受苦である」との言葉に、人間国宝の染織家・志村ふくみさん(100)は雷に打たれたように感じたという。
昨年訪れた作品展の動画で、「宇宙から差す光が物質界に入っていろんなものに触れる時の痛み、苦しみ、驚きが響き合って音になり色になる。本質のものでない時(響き合う前)の色や音。それを知りたい」と話していた。色と向き合う姿勢と探究心に感銘を受けた。
昨年101歳で死去した染色家・柚木沙弥郎さんはものの本質について、こう語っていた。「今あるものを見てみると、形を通してそのものが持っている生き様(ざま)、生きてきた歴史、あるいは物語、そういうものが見えてくる。いのちですね」。志村さんも然(しか)りで、ものの「いのち」に真摯(しんし)に向き合うからこそ、見る人の心に届くエネルギーを放つ作品が生まれるのだろう。(衣)