今年の夏、終戦の玉音放送から80年を迎える。国内放送の歴史の中で、最も大きな出来事だった。当時、情報伝達の主役はラジオ。そのラジオ放送が1925(大正14)年の放送開始から100年の節目を迎えた。
日本のラジオは戦後復興を支え、高度経済成長期には日本製トランジスタラジオが自動車と並んで日本を輸出大国に押し上げた。深夜放送は若者文化として花開き、災害時には被災者を勇気づけてきた。
今でも時々思い出すことがある。東京で1人暮らしを始めた時、持っていたのは小型のラジオだけだった。ある日、FEN(在日米軍極東放送)のアナウンサーが「ジョン・レノン」「撃たれた」と叫んでいた。80年12月8日。ビートルズのジョン・レノンさん銃撃事件の速報だった。
あの頃からだ。手の届く所にラジオを置くようになったのは。「今、何か災害が起きたら頼れるのはラジオ放送」と思う。旅行かばんには小型ラジオを入れている。航空機や新幹線の中は電波は入らないが、お守り代わりにはなっている。
今の若い世代には、ラジオがない自動車を買う人も多いという。スマートフォンのアプリでラジオ番組も聴けるのだが、いざという時、乾電池さえあれば事足りるラジオの信頼度にはかなわない。時代に逆行するつもりはないが、昭和生まれ世代の一人として、これからもラジオを相棒に暮らしていくのだろうと思っている。(裕)