40年前の1985年8月12日。午後6時12分、日本航空123便ボーイング747は大阪空港に向けて羽田空港を離陸した。乗客509人、乗員15人の機内は家族連れ、出張帰りの会社員らでほぼ満席状態だった。
午後6時24分、伊豆半島上空を飛行中に機体の後部が吹き飛ぶ。
午後6時28分、機長が管制官に「操縦不能」と交信した。客室内の空気が流れ出して垂直尾翼や油圧パイプが破壊され、操縦機能が失われた。機体は激しく揺れながら富士山の方へ北上し、コントロールできないまま、山梨県大月市上空で360度旋回した。
午後6時56分、約30分間にわたり迷走飛行を続けた末、群馬県上野村の山中に墜落した。機体は大破して激しく炎上。520人が犠牲となり、生存者は後方座席にいた女性4人だけだった。(共同通信=赤坂知美、勝田涼斗、国近賢宏、柞木田彩奈、鷺森葵、老田龍海)
▽死者数は世界最悪、修理ミスの背景に何が
さかのぼること...