田村淳、田村亮 (C)ORICON NewS inc.
田村淳、田村亮 (C)ORICON NewS inc.

 お笑いタレントの田村淳が、1日放送のテレビ朝日系バラエティー『耳の穴かっぽじって聞け!田村淳が解散理由を告白SP』(後11:45)に出演。元相方・田村亮への思いを語る一幕があった。

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 1993年にロンドンブーツ1号2号を結成し、94年に劇場オーディション合格して吉本入り。96年にテレビ出演から一気に人気者になったという経歴が紹介されると、淳は「早いよね」としみじみ。続けて「ネタは全部、亮さんが考えていたから。亮と出会ってからは、オレしばらく『亮さん!』って言って。テレビ出るようになっても、しばらくは亮さんからアドバイスをもらう立場だった」と当時のコンビバランスについて語った。

 また「テレビ出るようになって、亮さんから『司会があんまりできない』って言われて。司会できないって言われても、ツッコミだから司会やってもらわないと…っていう(思いを抱えていた)。そうしたら、ディレクターに呼ばれて『亮、進行無理だわ。お前が進行やれ。サッカーでいうと、フォワードとキーパー両方やる感じ』って言われて、いやいやピンとこんよって(笑)。それで亮さんはどういう立ち位置なんですかって聞いたら『ピッチでプレイしている選手を見守る、一番旗振っているサポーターが亮だと思え。亮が笑っているか否かを指針にしろ』って。だから、いっつも亮を見ていた」と関係の変化が生じたきっかけを明かした。

 一気に駆け上がっていくことの喜びを感じる一方、淳の中では懸念もあった。「テレビに出るためにはどうすればいいかっていうところは、戦略通りいっているはず。だけど、テレビに出始めてから(戦略が)うまくいっていない感じかな。こういうふうにやりたいっていうのが、どんどん崩れてきている。自分たちの冠番組を何歳までに持ちたいっていうのは(目標をもって)やっていたけど、それが計算よりも早くきちゃうから、追いつかなくなっちゃう。ありがたいことではあるんだけど、そこから組み立てられなく。芸能界に飲まれていく感じ。駒になっていく…みたいな。駒になりたくないから抗うっていうか」。

 一般人と絡むことによって笑いを生み出すタイプの番組を担当することが多かったが、淳は「一般の人と絡むしかなかったというか。横見ると、ニコニコしているイケメンのお兄さん(亮)がいるっていう(笑)。打っても別に音鳴らないのかいっていう感じだから、誰かと絡むしかなかった。オレが一般の人に無茶しても、亮が全部『大丈夫、オレが中和するから』ってなっていたから、その頃はめちゃくちゃ(コンビのバランスが)よかったと思う」と回顧。

 ところが、今になって振り返ると、淳にとって、ここがコンビバランスのゆらぎを生み出すターニングポイントだったという。「過去に戻れるなら?」との質問で、率直な思いを打ち明けた。

 「やっぱり、亮さんに進行をやってもらうっていうところかな。『ロンドンハーツ』がゴールデンで始まった時に、亮さんが3回くらい司会をやっていた。でも、亮がギブアップして、オレが引き継いだんだけど。でもあの時、ギブアップさせなかったらどうなっているだろうかって。(それまで)ずっとイーブンだったコンビバランスが、亮が遠慮し始めるのが『淳にやりなくない進行をやらせている』というところから崩れたと思うから。そこに戻ると…アイツはやさしいヤツだから『迷惑かけた』とか『申し訳ない』とかよく言うんだけど、あの言葉を言わせないようにできるのは、あのタイミングしかなかったかな。そしたら、あいつが闇営業に行くこともなかったのかな」

 さらに、淳は「そこが唯一、どうにもうまくいかないところっていうか。亮さんのイジり方の正解、まだ叩き出してないと思う」とも告白。こうしたコンビバランスの崩れへのモヤモヤが引き金となり、コンビ解散となったが「一旦屋号を下ろそうと。昔みたいな2人に戻った時に、またバランスをしっかり取ろうっていう。本当はオレ、亮さんにツッコんでほしい人だから。昔みたいに雑にオレのことを扱うっていうか。その亮さんに出会えなくなったのは、オレが追い込んだからって思っているから、リセットするには、お互いに重くなった屋号を下ろそうっていう感じ」と本音を打ち明けていた。