空と溶け合うように青く透き通った海がどこまでも続く。日本から南に約2400キロ、中部太平洋に浮かぶ米国の自治領・北マリアナ諸島のサイパン島。1944年6~7月、楽園のような島は、太平洋戦争の分岐点となる激戦の舞台となった。2万人を超える住民を巻き込み、太平洋戦争で初めて、約1万人に上る膨大な民間人犠牲者を出した戦闘でもあった。
当時、島は日本が統治し、住民の大半は日本から海を渡った移民家族だった。一方、数千の先住民も存在していた。日本国籍は与えられず、差別的な身分に置かれた彼らにも戦禍は等しく襲い、900人以上が命を落とした。
太平洋戦争の「記憶の風化」が叫ばれて久しい。とりわけ日本人とは異なる立場の人々の体験を知る機会はわずかだ。島の人々は「あの戦争」をどう受け止めているのか。戦後80年を迎えた今年8月、強い日差しがそそぐ常夏の島を訪ねた。(共同通信=野口英里子)
▽「絶対国...