米軍が、イスラム主義組織タリバンが実権を掌握したアフガニスタンからの撤退を完了したと発表した。日本政府は、邦人と日本大使館などの業務に協力したアフガニスタン人を移送するため派遣した自衛隊機計4機を引き揚げる。輸送機のうち1機は、航空自衛隊美保基地(境港市小篠津町)のC2輸送機が運用された。

 現地には少数の日本人と約500人のアフガニスタン協力者がいたが、移送は日本人1人、アフガニスタン人14人にとどまった。移送が失敗に終わったのは空港周辺の治安情勢だった。

 8月15日にガニ政権が崩壊。国外移送を希望する多数の市民が詰め掛け、タリバン戦闘員による検問が設置されて混沌(こんとん)とした。26日には過激派組織イスラム国系の犯行とみられる自爆テロがゲート近くで発生し、米兵13人を含む計180人以上が死亡した事件も混乱に拍車を掛けた。米軍撤退をもって協力者の国外移送を打ち切る国が相次いでいるが、日本の国策に身を投じた協力者や家族がタリバン政権による弾圧に遭う事態は避けなければならない。政府は責任を持って今後も協力者の保護と脱出に全力を挙げるべきだ。

 アフガニスタンを巡る移送は今後の邦人保護にも大きな課題を残した。タリバンが全土掌握を宣言した15日、カブールの日本大使館は一時閉館した。大使館の全職員(12人)が17日に英軍機で出国した行動は疑問だ。

 在外公館の重要な職務には、邦人保護があるはずだ。国際法で治外法権となる大使館の敷地内は、非常時には邦人の避難先となり得る。邦人退避の段取りや協力者への「命のビザ」発給手続きより先に出国するという外交官たちの逃げ足の早さには閉口する。

 岸信夫防衛相が自衛隊法に基づく派遣命令を出し、美保基地のC2輸送機が経由地に向けて飛び立ったのは24日未明と、政権崩壊から1週間以上も経過していた。自衛隊の1番機が空港に到着した頃、危機管理にたけた欧州や韓国は既に移送作戦の佳境を迎えていた。命令が出て以降の自衛隊の動きは早かったものの、それ以前の官僚と政治家による決定の遅さが移送を袋小路に追い込んだ。邦人保護は1分1秒を争う事態だ。危機感を持って同盟国と協力して情報収集に注力していれば、各国と同じスタートを切れただろう。

 法制度も積極的な移送の足かせとなった。移送は自衛隊法に基づくが、隊員が市街地まで足を延ばすことはできなかった。2016年施行の改正法によって武器使用も含めた邦人の「救出」が可能になったが、活動には当該国との合意と連携、治安維持が必要という条件がある。自衛隊法の想定する「救出」は邦人がテロ組織にとらわれた事案を想定したもので、国家の政変で適用は難しいと政府は判断した。

 米国と中国との対立に加え、軍事政権によるクーデターなど世界情勢は依然として不安定で短期間に政権が転覆する事例が相次いでいる。安全保障法制は改正されたが、今回の移送で多くの欠陥が露呈した。外国籍協力者の処遇といった人道的な観点を加えるべきだ。移送や救出で必要不可欠なC2輸送機を10機配備する美保基地は、今後も同様の事案に対応することになるだろう。現場の自衛官を邦人救出のため、安全かつ機動的に運用できる法制度を国会で議論する必要に迫られている。