野党第1党の立憲民主党の代表選が告示され、4人が立候補した。衆院選の大敗を受け、枝野幸男代表が引責辞任したのに伴う後継選びで、参院選が8カ月後に迫る中、党の再生、とりわけ共産党や国民民主党などとの野党共闘の在り方が大きな争点だ。

 選挙敗北直後の党首選とあって、高揚感に乏しいものの、機能不全が指摘されて久しい言論の府で岸田政権と対峙(たいじ)し、幅広い支持を獲得できる、共感される野党像を徹底的に論じてもらいたい。

 再出発にはまず、公示前より14議席も減らした衆院選の厳しい検証と総括が不可欠だ。党の顔でもあった辻元清美副代表が落選、重鎮の小沢一郎、中村喜四郎両氏らも選挙区で敗北したことなどから党内には共産も加わった候補一本化は「1+1」が「2」に”足し算”されず票が逃げたとの指摘も根強い。

 結果がすべてだが、「野党共闘で自民が強いところを接戦に持ち込めた」(枝野氏)のも事実。選挙区の当選者は公示前より増え、惜敗率80%以上の候補は50人を超える。共産との共闘が必ずしも失敗だったとは言えないのではないか。

 むしろ深刻なのは党勢を表す比例代表の不振である。旧民主党勢力を再結集しながら比例票は4年前の微増にとどまり、公示前から20議席以上も減らしたのは、党に魅力がないことの証左だろう。最終盤に激戦区で競り負けたことも合わせ、地力や党首力の不足は明らかだ。共産も含め1対1の構図をつくるという選挙戦術と、具体的な政権の枠組みについての説明が混在し、有権者の理解を得られなかったと言える。

 立民は新型コロナウイルス禍では政府、与党の先手を打つ形でさまざまな対策を提言してきた。後手に回った政府のコロナ対応や、9年近くにわたった安倍、菅両政権の「負の遺産」も厳しく追及した。しかし、国民には「批判ばかり、反対ばかり」に映っていた側面も否定できまい。

 党運営では、路線問題や政策を巡り、創立者の枝野氏ら一部の幹部で決める場面も少なくなく、「枝野1強」「枝野一存」が進行していた点も見逃せないだろう。国民民主と股裂き状態になっている連合と、どう関係を再構築していくのかも大きな課題だ。

 4候補はあるべき党の姿として、それぞれ「国民の役に立つ党」(逢坂誠二元首相補佐官)、「政権の受け皿として認知される党」(小川淳也元総務政務官)、「政策立案型の党」(泉健太政調会長)、「困難な状況の人に寄り添う政治」(西村智奈美元厚生労働副大臣)を掲げた。

 だが、再び政権を担い得る勢力へ再建するのは、いばらの道だ。自公政権とどこが違うのか、対立軸を明確に示し、財源に裏打ちされた実現可能な政策を練り上げ、一人一人が懸命に訴えていく。首長選では安易に相乗りせず、地方議員を増やし、強固な地方組織をつくり上げていく。野党の真のリーダーになるためには、こうした地道な作業を重ねることで、自立した強い集団に脱皮しなければならない。

 そして風通しの良い意思決定のプロセスを踏み、決まったことには全員が従う一体感が必要だ。岸田文雄首相が繰り返す「信頼と共感の政治」は、実は立民にも突き付けられている。