12月にはクリスマスと並び「忠臣蔵」のイメージがある。「時は元禄15年師走半ばの14日」という語り口が今でも浮かぶ。ただ新暦では年を越えた1703年の1月30日になるそうだ。この「仇(あだ)討ち物語」が約300年も愛されるのは日本人の感性に合っているからだろう▼先日亡くなった中村吉右衛門さんの当たり役・大星由良之助が登場する歌舞伎の名作『仮名手本忠臣蔵』が初演されたのは発端の刃傷沙汰から47年目。仮名は、いろは47文字で「四十七士」を暗示。『太平記』の時代に置き換えた人物も、敵役の高師直(こうのもろなお)は儀式を仕切る「高家」だった吉良家を、塩谷(冶)判官は浅野家の領地・赤穂名産の塩を連想させる▼史実と違う火事装束での討ち入りは、浅野家が大名火消として知られていたからとされ、衣装は映画などでも踏襲された。江戸では冬は一晩に何件も火事が発生。今のコロナ禍のように人々の関心事だったようだ▼また元禄期は、先輩格の仇討ち物語が人気を集めた頃。鎌倉時代の武士、曽我兄弟が17年後に親の仇を討つ「曽我物」と呼ばれる演目で、討ち入りを巡る世論にも影響を与えたらしい▼両方の演目に共通するのは「耐えて、耐えて、ついに」という図式。昭和や平成に人気を集めたテレビドラマでもおなじみのパターンだ。願わくは、新たな変異株が懸念されるコロナ禍の克服にも、この筋書きが通用してほしい。(己)