「節目」は毎年のようにやって来る。昨年は阪神大震災から25年、今年は東日本大震災から10年だった。そして来年5月には沖縄の本土復帰50年を迎える▼そんな来年の「主役」のことがずっと気になっていた。半年前、会合で松江を訪れた旧知の地元紙幹部から苦境を聞いていたからだ。「新型コロナウイルスの影響で観光地はどこも散々。製造業が脆弱(ぜいじゃく)で観光中心の産業構造が裏目に出ている」と▼7年ぶりに沖縄を訪ねた。土産物店が連なる那覇市の国際通りは半年前に比べ客足が戻ってきたとはいえ、以前のにぎわいには程遠かった。一方、観光のシンボルで2年前の火災により正殿などが焼失した首里城は、復興の息吹が感じられた▼国は来年度に正殿の再建工事を始める計画で、復興への関心を持ち続けてもらおうと、工事に使う木材の保管・加工作業用の倉庫も見学できる仮設デッキを設置。火災後、沖縄県や那覇市に寄せられた54億円に上る寄付は、木材や赤瓦の調達、室内装飾の復元に活用するという▼琉球王国の王城だった首里城は1945年の沖縄戦で焼失。市民らの支援を受け、92年に守礼門や正殿などが復元された経緯がある。つまり来年は復元完了から30年の節目となる。皮肉な巡り合わせではあるが、本土復帰50年を迎える来年は、2度目の首里城再建、そしてコロナ禍克服へ向けた沖縄の再スタートとなる節目でもある。(健)