暦の上では「立春」が過ぎ、そろそろ猫の鳴き声が気になる時季になった。繁殖期を迎えるからだ。猫を飼っているわけではないが例年、庭や側溝からうなり声が聞こえてくる▼昔から繰り返されるこの自然界の営みを、俳句の世界では「猫の恋」と表現。春の季語になっている。300年以上も前、松尾芭蕉が<猫の恋やむとき閨(ねや)の朧(おぼろ)月(づき)>と詠めば、猫の句が300以上あるといわれる小林一茶は<鼻先に飯粒つけて猫の恋>と。正岡子規も<よもすがら簀(す)の子の下や猫の恋>などの句を残した。いずれも猫の姿や行動をよく見ていたことがうかがえる▼一方、愛猫家には不本意だろうが、猫にまつわることわざや慣用句には、なぜだか不名誉なものが目立つ。「猫をかぶる」や「猫に小判」、「猫背」や「猫の目」もある。さらに、味の良くない魚のことは「猫またぎ」という▼人間が勝手につけた言い掛かりに近い言葉が「ネコババ」。臭いを消すためだとされる、ふん(ばば)に足で砂を掛けて隠す行為が由来らしいが、当の猫からすれば、きちんと後始末をしたことになる▼それに比べ、こちらの後始末は、砂の掛け方を巡る話し合いがまとまらず越年した。国会議員に毎月100万円支給される「文書通信交通滞在費」の問題。領収書も税金も不要なだけに、指摘を受けて日割り計算にするだけで、果たして胡散臭(うさんくさ)さが消えるかどうか。(己)