公判審理を経て犯罪の証明がないとされ、無罪が確定した以上、捜査段階で容疑者から採取し、保管するDNA型データは抹消せよ。明快に国にそう命じる司法判断が、名古屋地裁で示された。

 市民感覚では当然の判決だし、以前から国会審議や日弁連などで指摘されてきたことだ。国が控訴したのは極めて残念だが、データ保管を具体的に規定する法律がなく、警察の裁量が大き過ぎるのが問題の本質だ。

 DNA型は「究極の個人情報」と呼ばれ、その取り扱いは憲法が保障する人権に直結する。司法の場での決着を待つことなく、早急に法律で警察の運用を縛る仕組みを構築すべきだ。

 名古屋の訴訟では、マンション建設の反対運動中に現場責任者に暴行したとして逮捕・起訴され、無罪が確定した男性が、逮捕時に採られたDNA型などのデータベースからの抹消を請求した。

 DNA型データの保管を規定するのは法律ではなく、国家公安委員会規則にすぎない。(1)容疑者が死亡した(2)必要がなくなった―ときに「抹消しなければならない」としているだけだ。

 これでは、容疑者死亡以外は警察の恣意(しい)的な判断が横行する恐れがある。判決が「はなはだ曖昧。運用次第では抹消すべき場合がほぼなくなる」と判断したのも当然だ。欧米諸国の多くは法律で具体的に規定している。

 警察庁は昨年の国会審議で、無罪確定や不起訴となった人のDNA型データを保管していることを認め、誤認逮捕の場合には、抹消することにしていると説明した。無罪確定、不起訴は捜査が間違いだったケースとは違うと言いたいのだろう。

 これに対し判決は「憲法13条が保障する自由には、DNA型をみだりに利用されない自由をも含意している」とし「余罪の存在や再犯の恐れが具体的に示されなければ、無罪確定後は『必要がなくなった』と言うべきだ」と判示した。明確だ。

 DNA型は1992年に、捜査現場に本格導入された。当初は個人識別率が「千人に1・2人」と低かったが、約10年後には「1100万人に1人」に、最近では「565京人に1人」にまで精度が向上した。「京」は「兆」の上の単位である。

 04年には容疑者や現場遺留資料のDNA型のデータベース化を開始。その後、容疑者のDNA型は積極的に採取、保管する方針を取り、2020年末現在で141万件に上っている。

 これまでに数多くの長期未解決事件の容疑者特定につながったほか、冤罪(えんざい)を浮き彫りにした事例もあった。現代の科学捜査に欠かせない存在であることは間違いない。

 今回の判決は、DNA型と同じ理由で指紋、顔写真のデータ抹消も命じた。古くからある指紋、顔写真は、採取の根拠こそ刑事訴訟法にあるものの、保管についてはDNA型同様、国家公安委員会規則があるだけだ。

 比較的新しい技術であるDNA型には、採取の根拠法すらない。そこから法整備すべきだ。その上で、これら3種類のデータ抹消を警察に義務付けるケースを具体的に規定し、本人からの抹消請求や結果通知、不服申し立て手続きなどについても、盛り込んでもらいたい。

 捜査への有用性と国民の人権。その両立、調和を図らねばならない。