ロシアのウクライナ侵攻という戦時下で開かれた北京冬季パラリンピックが閉幕した。障がいを乗り越え、力を振り絞って躍動したアスリート、とりわけ故国が戦禍に見舞われながら奮闘したウクライナの選手たちをあらためてたたえたい。

 しかし、ロシアとベラルーシ2カ国の参加が排除され、パラリンピックの理念の「平和」「共生」「連帯」が大きく揺らいだのも事実。北京大会は「戦争」と「分断」を浮き彫りにしたスポーツの祭典として歴史に刻まれることになるだろう。

 大会を通じて発信されたのは、平和への強烈な思いだ。国際パラリンピック委員会(IPC)のパーソンズ会長の開会式スピーチはインパクトを与えた。「21世紀は、戦争と憎悪の時代ではない。対話と外交の時代だ」と切り出し、ロシアも提案国となり国連総会で採択した「休戦決議」が破られたことに憤りを表明。「世界は分かち合う場であるべきで、分断されてはならない」などと各国の政治指導者に求め、最後は「ピース!(平和を)」と叫んだ。

 ウクライナ選手団も期間中に侵攻に抗議する集会を開き、戦闘を終わらせるために国際社会の一層の連帯を呼び掛けた。

 言うまでもなく、最大の被害者は、いったん北京入りしながら、IPCの排除決定を受け帰国せざるを得なくなったロシアとベラルーシの選手だ。そして応援しようとしていた両国国民や、対戦を心待ちしていた他国の選手の楽しみまでも奪った。ひとえに責任は、暴挙に走ったロシアのプーチン大統領にあり、その罪は重い。柔道家として知られる大統領はパーソンズ氏の訴えをどう受け止めたのだろうか。

 本来、スポーツと政治は絡めるべきではないかもしれない。だが、国を代表して参加する以上、政治の動きと完全に切り離すわけにもいかない。理不尽な戦争という行為に対して、選手たちも敏感で、決して無関心ではいられないのだ。

 注目すべきは、アスリートたちが声を上げた点だ。冷戦のさなか、東西両陣営のボイコット合戦に発展した1980年のモスクワ五輪と84年のロサンゼルス五輪は政治家が前面に出たが、今回は選手たちも自ら意思を示し、参加を容認したIPCの決定を覆した。

 開催国の中国も痛手を負った。運営面で大きな混乱はなかったものの、史上初めて同じ都市で夏と冬の五輪・パラリンピックを開催するという「名誉」が傷ついたことは否めない。国連総会でのロシア非難決議にも棄権し、国際社会の失望を招いた。パーソンズ氏の発言の一部が国内のテレビで同時通訳されなかったところに、中国の言論統制や人権問題の影を重ね合わせた人は少なくない。

 英国の病院で第2次世界大戦で負傷した兵士のリハビリにスポーツを取り入れたことがパラリンピックの原点だ。ここまで大規模な国際大会に成長したのは、「平和」があったからこそだろう。

 今年のサッカーワールドカップ(W杯)の出場権を懸けた欧州予選プレーオフで、前回開催国のロシアが締め出されるなど、スポーツ界で排除の動きが相次ぐ。ロシアの選手や国民の落胆は想像に難くない。「変革はスポーツから始まる」と語ったパーソンズ氏。こうした悲痛な叫びに耳を傾けなければ、真のリーダーとは言えない。