この時季、週末になるといそいそとヨモギを摘みに畑へ向かう。よく洗ってゆで、風味は落ちるが冷凍にしておく。同じ畑で育てた小豆を炊き、草団子を振る舞うのが楽しみだ▼若芽のヨモギはふわふわと柔らかく、摘んだ際のかすかな香りが全身に行き渡り、血が巡るよう。古来、女性特有の「血の道症」の薬草として用いられたのはうなずける。清少納言も随筆『枕草子』に、牛車の車輪に踏まれ、立ち上ってくる芳香を「をかし」と記したヨモギは、今も変わらぬ万能の植物だ▼新型コロナウイルス禍前、ぜいたくな会に呼ばれた。ヨモギをはじめ柿の葉、ツツジの花など近隣で採った野草を天ぷらにして味わう会。主催した古老に「なぜ、いただきますと言う」と問われた。「自然の恵みに感謝するため」。ありきたりな返答をすると「植物も生き物も人間に食べられると思って育っていない。我々は、その生きようとするエネルギーをもらう。だから、いただくなんだ」▼今、山野はその生きるエネルギーがあふれている。人間は、その力に圧倒されるのか、昔から精神が一番不安定になる時期として「木の芽どき」と名付け、普段より養生しながら過ごした▼個人的な対策だが、調子が悪いときは、畑の敷地内にある草原に寝転ぶ。除草剤も農薬もまいていないから堂々と。土や植物に癒やされ、気が満ちる。そんな土地が多くあれと願う。(衣)