四季がある日本で雨は生活に根付いてきた。『雨のことば辞典』を引くと、青葉をぬらす「翠雨(すいう)」からは芽吹きの春、作物や草木に生気を与える「慈雨(じう)」は日照りを潤す恵み、晩秋に降り木々を紅葉させる「冷雨(れいう)」は迫る冬と、季節を連想させる言葉が並ぶ▼気候と切り離せない、農耕に不可欠な水を求めたからこその表現だろう。とはいえ、近年の雨の降り方は風流な言葉とはほど遠い。昨年7月の豪雨では雲南市内の至る所で道路が冠水。水道管も破損し、住民生活に大きな影響が出た。被害だけでなく「子どもが雨を怖がるようになった」という保護者の声も聞いた▼昨年の豪雨を目の当たりにするまで、根拠なく「大丈夫」と思っていた。食料調達に行った先は臨時休業。たまたま知人にもらった弁当で乗り切ったが、次に何かあった際に食料が届く保証はない▼一時孤立状態の地区が出た雲南市内では、梅雨に向け住民が動き出した。中野地区では島根県の防災担当者から「いつ逃げるか」「何を持って行くか」「どこに避難するか」「経路や時間」など災害前に確認しておく点のほか、自分のための行動計画を作るといった助言を受けた。飯石地区でも近く防災備品の点検を行うという▼「まさか」の時に焦らないよう、家庭で、勤務先で避難時の対応を確認してほしい。増水した川や水路を見に行くのはもっての外。梅雨入りはもう間近だ。(目)