あれから30年近く、一時代が過ぎたと思うと感慨深い。1993年10月28日、カタール・ドーハ。サッカー後進国の日本代表が初のワールドカップ出場を目指してアジア地区予選を戦い、最終戦のロスタイムに失点して出場権を逃した、いわゆる「ドーハの悲劇」である▼現代表監督の森保一氏はそのピッチに立っていた。味方の危機を察し、先を読んだ動きで相手のパスをカットしたり、前線へボールを運んだりする心臓部の役割を担っていた▼あの日、コーナーキックから短いパスをつながれ意表を突かれた痛恨の失点を防ぐためにできることがあった、と語っていたのを後に雑誌で読んだ▼くしくも今冬のワールドカップ本戦の舞台は、そのカタールだ。アジア地区予選の序盤の不振で監督解任論も飛び出した。だが、彼こそ、あの時の仲間やファンが味わった悔しさを背負って立つにふさわしい指揮官だと確信している▼世界最高峰のブラジル代表に挑んだ6日の親善試合などを通じて、カタール行きの選手の選考に入った。ベンチの映像を見た限りでは闘志をあまり表には出さないが、選手として本大会に行けなかった経験を踏まえ、技術もさることながら何よりも、負けず嫌いなハート、力を出し尽くすことができる人材を求めるだろう。精神が技術を凌駕(りょうが)しなければ、同じグループではるか格上のドイツ、スペイン代表を倒すのは難しい。(万)