居ても立ってもいられなかった。10年前、東日本大震災が発生した際、当時勤めていた東京の大手紙では「福島に行くな」と禁足令が出た。だが、東京電力福島第1原発周辺の状況が気になり、20日後に休日を利用して福島へ向かった。原発が見える範囲は立ち入り規制が敷かれ、南相馬、いわき両市や広野町など規制がない範囲を車で回った▼住民に話を聞きたかったが人影はない。崩れた道路や建物は放置されたままで、自衛隊や他の自治体から派遣された救助隊の姿もまだなかった。ようやく見つけた住民は「放射能があるから誰も助けに来ない」と嘆いていた▼被ばくを避けようと多くの住民は他の自治体に避難していたが、住み慣れた土地を離れたくない人も少数いた。原発から距離が近いと危険視され、救援だけでなく物流もストップ。商店やコンビニエンスストアは臨時休業となり、住民は井戸水を使い、保存食でしのいでいた▼その年の5月からは線量計を持ち、放射線を測りながら回った。集落によって高い場所と全く影響のない場所があり、巨大な水滴がこぼれ落ちたように汚染はまだら模様となっていた▼当初、国は原発から20~30キロ圏内に屋内退避指示を出したにもかかわらず、汚染のない地域でさえ、救援が遅れて生活が困難になった。あれから10年。当時の被災地を思い返し、支援体制の充実と備えの大切さを痛感している。(釜)