エリザベス英女王の訃報が伝えられる中、「糸瓜(へちま)忌」(9月19日)が近づいた。1902年に34歳で亡くなった俳人正岡子規の命日である。<痰(たん)一斗(いっと)糸瓜の水も間にあはず>など糸瓜を詠んだ3句が絶筆になったことでそう呼ばれる。糸瓜の水は昔から咳(せき)や痰に効くとされ、子規の家にも植えてあった▼もう十数年前になるが、東京・根岸に再建された子規の住まい「子規庵」を訪ねたことがある。山手線の鶯谷(うぐいすだに)駅から歩いて7、8分。怪しげなホテル街を抜けて行った▼斜め向かいにある台東区立書道博物館の創設者は、子規と親しかった画家で書家でもあった中村不折(ふせつ)。「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と遺言した島根県津和野町出身の森?外が「書ハ中村不折ニ依託シ」と、墓の文字を指名した人物で、夏目漱石の『吾輩は猫である』の挿絵も手がけた▼ともに子規の高弟である高浜虚子と河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)、歌人で作家の長塚節(たかし)や伊藤左千夫…。かつてはこの子規庵に多くの文人たちが集い、句会などを繰り広げた。?外が漱石と出会ったのも、ここでの句会だったとされる▼子規が亡くなったのは旧暦では8月18日の未明。同15日の「中秋の名月」から2日後の月夜になり、泊まり込んでいた虚子は<子規逝くや十七日の月明(げつめい)に>と詠んだ。子規没後120年になる今年は、今夜が「中秋の名月」。虚子が見上げた月は12日の夜になる。(己)