40年前の秋、島根県内の各地では、全国から集まった選手が躍動していた。初の地元開催となった1982年の国民体育大会「くにびき国体」。島根県は総合優勝に輝いた▼当時は生まれたばかりで記憶はないが、古里の旧三刀屋町は隣の旧木次町とソフトボール会場だったそうだ。2町とはいえ、全国の選手団が宿泊できる施設は思い浮かばない。『三刀屋町誌第二巻』を繰ると、「民泊」という単語が目に入った。32チーム、630人を約200軒の一般家庭が受け入れていた▼食事提供のため定められた標準献立を基に、町民が料理講習会で学んだ。大会期間中、会場に応援に訪れて選手を激励したという。一方の選手からは普通の家に泊まることへの戸惑いが楽しみに変わり、「自分の家にいるときのように過ごせた」というお礼状が届いていた▼国体開催から約半世紀後の2030年、国民体育大会から名称が変わる国民スポーツ大会「島根かみあり国スポ」の開催が決まった。まずは遠ざかる総合優勝へ向けた選手の育成が重要だが、子どもたちの認識はまだ低い▼先日、ある児童が雲南市役所で全国大会の結果を報告した際、国スポで「主力選手として活躍して」と投げかけられたが、無反応。大会開催地に対する認知度不足を目の当たりにした。くにびき国体の歓待に負けないよう、県民の意識醸成も大切になる。8年はあっという間だ。(目)