150年前に日本の鉄道の歴史が始まった。品川―横浜(現・桜木町)間の仮開業に続き、1872年10月14日、新橋―横浜間で本開業を迎えた。旅客や貨物を大量に速く、安価に輸送できる鉄道は、産業の発展とともに全国各地で整備が進んだ▼山陰両県では1902年に境(現・境港)―御来屋間の約37キロが開通。鳥取、松江へ延伸し、12年には京都―出雲今市(現・出雲市)間がつながった。木次線は前身となる「簸上鉄道」が16年に木次―宍道間で運行を始めた▼戦時中、鉄道は地方から出征者を運び、都市部の住民を疎開先へと送り出した。終戦間際に大山口付近で米軍の銃撃を受けたのも、終戦後、帰還した兵士を古里まで連れ帰ったのも鉄道だ。花嫁は夜汽車で嫁ぎ、さよならを言わないまま信濃路へ向かう特急に乗る。懐かしい『花嫁』や『あずさ2号』で、旅立ちや別れの象徴として歌われたのも鉄道だった▼新幹線の登場、国鉄民営化、夜行列車はほぼ姿を消し、新型コロナウイルス禍で利用者は減った。山陰の「鉄道のまち」として冠し続けた「米子」の文字はJR西日本の支社名から消え、中国統括本部山陰支社へ名称が変わった▼大量輸送を支え、生活に寄り添ってきた鉄道は150年の間に変化した。蒸気機関車が走る姿を見なくなったように、鉄道の意義も変わっていくのだろう。節目の年、その在り方が改めて問われている。(目)