日本列島と朝鮮半島が記載された19世紀末の米国製地図に竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島(トクト))が表記され、別刷りの索引に「日本領」とあることが分かった。これまでに確認された英国やフランスなどの地図と合わせ、日本政府が1905年に竹島の領土編入を閣議決定する以前から欧米で「竹島が日本領」と認識されていたことを示す資料として注目される。
地図は島根県隠岐の島町の個人収集家が所有する、1897年に米ニューヨークのセンチュリー社が発行した地図帳「センチュリーアトラス」。竹島は「ホーネット島(リアンクール岩)」と記載されている。
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「ホーネット島」は竹島を通りかかった英国船、「リアンクール岩」はフランス船が名前の由来。韓国の鬱陵島(ウルルンド)は「マツシマ」と記載されている。両島の間に国境線は確認できないが、索引にはホーネット島、リアンクール岩ともに「Japan(ジャパン)」と明記されていた。
日本国際問題研究所(東京都)の職員3人が10月29日、研究所から竹島に関する古地図の調査・研究を受託する島根大法文学部の舩杉力修准教授と共に、隠岐の島町内で確認した。
舩杉氏は領土編入前の竹島を日本領とする地図はこれまでに英国、フランス、ドイツの各国製でも確認されていると説明。研究所の尾崎壮太郎研究調整部長は「当時、竹島が日本領であることが国際的に認識されていた」と評価した。
舩杉氏は同じ収集家が所有する西洋地図のうち65点のデータ化を進め、研究所のホームページでの公開を計画している。
(鎌田剛)