明治大の和泉キャンパス校門で軽音楽クラブに入部したばかりの18歳の宇崎竜童は新人勧誘をしていた。東京五輪半年前の1964年春。同年齢の新入生に目がくぎ付けになる。「出会った瞬間、俺の嫁じゃんと思った」。勧誘に成功、後の作詞家阿木燿子だった。

 一目ぼれとは違う不思議な感覚。「小学生の頃から嫁探しをしていた。転校生を嫁だと。変なガキだった」と現在、75歳の宇崎は振り返る。

 出生は紙一重だった。45年夏、京都に疎開した宇崎の母は身ごもる。...