安来市古川町の足立美術館が収集や展示に力を入れているのが、芸術家・北大路魯山人(ろさんじん)(1883~1959年)の作品や史料の数々だ▼京都で過ごした幼少期は困窮を極めながらも、書から始まり、篆刻(てんこく)、陶芸や料理などあらゆる芸術分野でその道の人と交わり己の才能を開花させた。関東大震災から1年半後の1925年3月、41歳で会員制料亭・星岡(ほしがおか)茶寮(さりょう)を開設。名士らを五感で楽しませることに心血を注いだ▼魯山人の生誕140年を記念した特別展が開幕した。楽焼としては破格の大きさで、発表した当時は酷評されたという「椿鉢(つばきばち)」、六曲一隻の屏風(びょうぶ)に描かれた「いろはにほへと…」の豪快な文字と、最後は入り切らないとみて、左隅のわずかな部分に押し込まれた「あさきゆめみしゑひもせすん」の対比が氏の奔放さを感じさせる「いろは屏風」など、代表作が並ぶ▼魯山人の記念展が安来で開かれていることに、感慨がわく。同時代の陶芸界で民芸運動を先導した河井寛次郎(1890~1966年)の古里だからだ▼寛次郎の個展に足を運んだ魯山人の批評は「何も学んでいない」など、辛辣(しんらつ)さを極めた。人並み外れた苦労をし、積み上げてきた魯山人と、無駄を省き、質素な暮らしの中に美を見いだした寛次郎。方向性は違えど才を見いだしていたからこその言葉だろう。当方には「みんなちがって、みんないい」としか思えない。(万)