「知事」と「地図」や、「すし」と「すす」の区別がよく話題になる出雲弁の訛(なま)り。方言と同様に、育った時代によっては「ティ」や「ディ」がうまく言えない人もいる。没後11年になる作家・井上ひさしさんによると「ティ」も「ディ」も戦後に日本人が獲得した音で、伝統的な日本語の発音なら「レモンテー」か「レモンチー」、「ピンクレデー」になるそうだ▼そこで浮かんだのが、どのくらい昔までなら今の日本語が通じるのかという疑問。あれこれ調べてみたら、そんな変な疑問に真面目に答えた本があった。国語学者・故大野晋(すすむ)さんの『大野晋の日本語相談』▼結論から先に言うと、室町時代以降なら何とか話が分かるらしい。400年くらい前は「セ」の音は「シェ」。ハ・ヒ・フ・ヘ・ホはファ・フィ・フ・フェ・フォと発音していたことがキリシタンの文法書に残っていて、ファナ(花)やフィト(人)と言っていたという▼ただ、一番古い発音ではパナ(花)、ピト(人)になるほか、『万葉集』の時代はサ・シ・ス・セ・ソがチャ・チ・チュ・チェ・チョの音だったと推定され、柿本人麻呂の歌にある「小竹(ささ)の葉は―」は「チャチャノパパ―」となるらしい▼ここまで来ると、何のことか分からなくなる。収穫は「シェ」の発音。出雲訛りで耳にするシェンシェ(先生)やシェンタク(洗濯)は、実は400年の伝統がある発音だった?(己)