中国大会V経て晴れ舞台
「ハートの強い捕ほ手しゅ」
岩谷 翔太(いわたに しょうた)さん(大田二中主将)
8月19~23日に広島県であった「全国中学校軟(なん)式(しき)野球大会」に出場した大(おお)田(だ)市久(く)手(て)町の大田第二中学校野球部。惜(お)しくも1回戦で負けてしまいましたが、キャプテンを務(つと)めたのが3年生の岩(いわ)谷(たに)翔太(しょうた)さん(15)です。今年3月の別の全国大会では準優勝(じゅんゆうしょう)するなど活(かつ)躍(やく)を続けたチームを1年間、引っ張(ぱ)り続けました。
野球を始めたのは小学校3年生のとき。父親の影響(えいきょう)だったといいます。双(ふた)子(ご)のお兄さんの悠(ゆう)太(た)さん(15)と、地元の久手町野球スポーツ少年団(だん)でプレーし、このチームでもキャプテンを任(まか)されました。ポジションは当時も今もキャッチャーです。
スポ少のチームメートたちと大田二中に進学し、昨年の新チーム始動に合わせてキャプテンになりました。野球部の柿(かき)田(た)勝(かつ)洋(ひろ)監(かん)督(とく)は「ハートが強く、ピッチャーに厳(きび)しいコースへ投げるよう求めるなど強気のリードができる選手」と評価(ひょうか)し、選手たちをまとめる存(そん)在(ざい)としても頼(たよ)りにしていました。
監督の言葉通り、3月に全国大会の決勝戦でサヨナラ負けし、ぎりぎりのところで日本一を逃(のが)した直後に「夏こそ日本一になる」と言い切るなど、非常(ひじょう)に気持ちが強く、選手としての向上心も人一倍です。
夏の全国大会の出場権(けん)を懸(か)けて鳥取県で行われた中国大会では、実は腰(こし)を痛(いた)めていましたが、「絶(ぜっ)対(たい)に試合に出る」と心に決めてグラウンドに立ち続け、見事優勝しました。
中学校の周りは、4月9日に起きた最大震(しん)度(ど)5強の地震で家やお店、道路に大きなひびが入ったり、屋根が崩(くず)れたりするといった影響が出ました。岩谷さんの自(じ)宅(たく)も「はり」が壊(こわ)れるなどの被(ひ)害(がい)があったそうです。
そうした中でも、野球部の活躍を楽しみにし、大田市外や島根県外にまで観戦に駆(か)け付ける地元のお年(とし)寄(よ)りたちもいたということで、「いつも熱心に応(おう)援(えん)してくださる地(ち)域(いき)の方のためにも、とにかく試合に勝ちたかった」と頑(がん)張(ば)るなど、地域思いの一面もあります。
夏の全国大会では、優勝を目指しながらも延長(えんちょう)戦の結果、1点差で初戦敗(はい)退(たい)となってしまい、「流れをつくれなかった」と悔(くや)し涙(なみだ)を流しました。
次なる目標は、高校野球の強豪(きょうごう)チームに入ってプレーすることです。甲(こう)子(し)園(えん)を目指しながらも、ただ野球を頑張るだけではなく「人として大きく成長していきたい」と意気込(ご)んでいます。
プロフィル
【好きな野球選手】特にいない
【好きな言葉】恩返(おんがえ)し
【趣味(しゅみ)】音楽鑑賞(かんしょう)