復元された光化門=韓国・ソウル、2011年撮影
復元された光化門=韓国・ソウル、2011年撮影

 竹島(韓国名・独島(トクト))や徴用工問題で繰り広げられる韓国の反日デモで必ずと言っていいほどテレビ映像に出るのが、ソウルにある、かつての朝鮮王朝の王宮・景(キョン)福(ボッ)宮(クン)の城門の遺構「光(クァン)化(ファ)門(ムン)」だ。現在の姿は2010年に復元されたもの。朝鮮半島の歴史の象徴と言える▼光化門は日本の朝鮮統治時代に撤去されそうになった。公然と異を唱えて保存を訴えたのが、日本の民(みん)藝(げい)運動を先導した柳(やなぎ)宗悦(むねよし)(1889~1961年)だった▼日本が朝鮮を併合していなければ、光化門の取り壊しの話自体が起こらなかっただろうし、日本人が朝鮮の文化財保護に口を出すこともなかっただろう。だが、朝鮮半島の人たちが表立って民族の誇りを口にできなかった現実の中、朝鮮の美の様式に魅せられた日本人がいたことで辛くもそれらは守られた▼柳宗悦と親交があった朝鮮古陶磁の研究者・浅川伯教(のりたか)(1884~1964年)と、林業技術者として朝鮮半島の緑化に尽力し、朝鮮工芸研究者として知られた弟の巧(1891~1931年)、安来市出身の陶芸家・河井寛次郎(1890~1966年)も、この系譜に連なる▼光化門前にデモに来る韓国の人たちの中で、そのことを知っている人は多くはないかもしれない。ただ、大勢に流されず、相手の立場でものを言った人々のことは忘れないでいたい。このことは、同時期に日本に来た朝鮮の人々についても同じだ。(万)