2011年8月、岩手県釜石市の鵜住居(うのすまい)地区を訪れた当時、記者は中学3年生だった。市街地を抜けて見えたのは、がれきの山と津波に飲み込まれた建物の赤くさびた鉄骨で、災害の悲惨さが頭から離れなかった。

[本記]
被災地のいま 東日本大震災13年(上)原発 廃炉の出口見えず 戻らぬ住民と生活基盤
被災地のいま 東日本大震災13年(中)漁業 原発事故に翻弄の日々 風評が再起の原動力に
被災地のいま 東日本大震災13年(下)防災 後悔胸に伝える思い 継続が輪を広げる近道

 12年6カ月後、再び訪れた鵜住居地区は、...