藤が見頃を迎える時季。薄紫色の蝶(ちょう)形の花が連なり、たゆたう様は優雅であり控えめであり妖しくもあり、和ませる。作家の幸田文は、藤には特別の思いがあるようだ▼草木に心を寄せるようになった文の原点は父・露伴の教え。それは出戻った文の幼い娘にも向けられた。春の縁日、露伴は植木市で何か買ってやれと、がまぐちを文に預けた。娘は一番高そうな、明日には咲こうとする藤の老木を選んだが、文は高値を理由に却下。山椒(さんしょう)の木を買い、娘も満足したという▼不機嫌になったのは露伴。一番を選んだのであれば、確かな目を持っているということで「多少値の張る買い物であったにせよ、その藤を子の心の養いにしてやろうと、なぜ思わないのか」と立腹。藤をきっかけに花をいとおしむことを教えれば一生の心の潤い、目の楽しみになる。藤から蔦(つた)へ、もみじへ、松へと関心の芽を伸ばせば財産を持ったも同じことだ、と▼文は、〓(口ヘンに七)責(しっせき)は身に染みたものの、縁日のたびに花の楽しさをコーチすることは怠り、娘は「草木をいとおしまぬ女」になり、つらい思いをしたとエッセー『藤』に記す▼自然豊かな山陰に暮らせば、心の養いになる場所に恵まれ、花咲く春は、そのありがたみが分かる楽しい季節だ。教え、教えられるのに年齢はない。文の娘もその後、土をいじり種をまいて喜ぶ夫と出会い、しみじみと花を見つめる人になったという。(衣)