借景している隣家の柘榴の木。赤い花が緑葉に鮮やかだ=出雲市内
借景している隣家の柘榴の木。赤い花が緑葉に鮮やかだ=出雲市内

 わが家はアパート住まいで、隣家の庭木を「借景」としている。フェンス越しに柘榴(ざくろ)の木が半分ほど見えるだけだが、四季折々の姿は日々の癒やしだ。この時季は鮮やかな緑葉と赤い花に元気をもらっている▼詩人・三好達治(1900~64年)は<柘榴の朱は格別の趣きがあつて、直接な生命の喜びとでもいふやうなものが、ふさぎ勝ちな前後の気持を押のけて、独自の逼(せま)り方で強く胸に逼つてくる>と、随想『柘榴の花』に記す▼発表したのは戦時中。<兵馬倥偬(こうそう)を極める時局下に、無慙(むざん)な閑談を試みたとがめを蒙(こうむ)るかもしれない>と控えめだが、戦地からの若い友人たちの手紙にも常にこうした閑談があり、それが<日本人としての彼らの心情に微妙に誇張なく調和している>という▼以前、取材した古老に「自分」とは「自然」の「分身」だと諭された。自分の考えや行動が周囲の自然、環境に関わるのだと解釈した。それも踏まえれば三好が作中に記す<自然はあらゆる美の手段をつくして、沈滞する人の心をつねに眠ざめしめようと、人人の心に向つて不断に好機を捉へようとして待ちかまへているもののやうにさへも思はれる>という感想は、今の自分に必要なメッセージが、あちこちにあるということだろう▼あすから6月。祝日がない月で、「海の日」(7月の第3月曜日)まで連休はない。個人的には柘榴に背を押してもらい気張るとする。(衣)