クワイエット・ライオット「メタル・ヘルス」
クワイエット・ライオット「メタル・ヘルス」

 1984年の米ビルボード・アルバムチャートは5枚しかナンバーワンヒットが出なかったと先日書いたが、前年の83年もナンバーワンは少なく、6枚だった。マイケル・ジャクソンの「スリラー」旋風が最も強く吹いたこの年も、たった1週だけナンバーワンになった作品がある。クワイエット・ライオットの「メタル・ヘルス~ランディ・ローズに捧ぐ~」だ。「カモン・フィール・ザ・ノイズ」のシングルヒットとともにチャートを駆け上がり、ハードロック/ヘビーメタル勢として輝かしい足跡を残した。

 83年のアルバムチャートは、オーストラリアのバンド、メン・アット・ワークのデビュー作「ワーク・ソングス」が前年11月からのトップを2月まで守った。この座を奪ったのが前年12月に発売された怪物アルバム「スリラー」。1位を17週続けた後、映画サントラ「フラッシュダンス」にその座を2週明け渡すも再浮上するなどして年末までに延べ20週以上トップにいた。この年のもう一つのロングセラーがポリスの「シンクロニシティー」で7月、首位に。英国の3人組の5作目アルバムを11月最終週にトップから引きずり下ろしたのが「メタル・ヘルス」だった。

クワイエット・ライオットのメンバー


 クワイエット・ライオットは70年代にギタリストのランディ・ローズを中心に米ロサンゼルスで結成。1枚目、2枚目のアルバムは本国での発売はかなわず、日本のみで78、79年に発売されるという珍しいデビューだった。ランディ・ローズはその後オジー・オズボーンのバンドに参加し注目を集めるが、82年3月に飛行機事故で帰らぬ人となった。「メタル・ヘルス」は、ローズの死を受け、ボーカルのケビン・ダブロウらがメンバーをそろえ、新生クワイエット・ライオットとして83年3月にリリースした米国でのデビューアルバムだ。

 シングルカットされた「カモン・フィール・ザ・ノイズ」は彼らの代表曲であり、最大のヒット曲である。高校生だった当時、ハードなロックはあまり聞かなかったものの、シングルチャートを5位まで上昇したこの曲は耳になじんだ。ドラムのイントロから「カモン・フィール・ザ・ノイズ、ガールズ、ロック・ユア・ボーイズ…」と、いきなりサビをシャウトして一気にテンションを上げてくれた。その勢いで「メタル・ヘルス」のLPレコードを購入。ジャケットに描かれたイラストが映画「13日の金曜日」のジェイソンを想像させ、いかにもヘビーメタル的だと感じたアルバムには意外にもキャッチーな曲もあってポップミュージック好きの高校生も大いに楽しめた。最後を飾る追悼バラード「サンダーバード(ランディ・ローズの想い出に捧ぐ)」は、当時ランディ・ローズが何者かも分からなかったが、心に染み入った。

 翌週にはブラックミュージックのスター、ライオネル・リッチーのアルバム「オール・ナイト・ロング」にその座を譲ったが、見事頂点に立った「メタル・ヘルス」はメタルバンドが史上初めて全米ナンバーワンを獲得した名盤とたたえられることが多い。ヘビーメタルやハードロックの定義が曖昧だから、史上初と言い切れるのか微妙なところかもしれない。ただ、「世界で最も売れたアルバム」とされる「スリラー」がヒットチャートを席巻した83年に、快挙を成し遂げたシャウト系ロックの先駆的作品であることは間違いない。同じ83年にリリースしたアルバム「炎のターゲット」が2位に終わったデフ・レパードが次のアルバム「ヒステリア」で初の1位を獲得するのも、84年のアルバム「1984」が2位に終わったヴァン・ヘイレンが次のアルバム「5150」で初の1位を獲得するのも、80年代後半になってからのことである。

 ちなみに「カモン・フィール・ザ・ノイズ」は英ロックバンドのスレイドが73年に出して英ヒットチャート1位に輝いた曲のカバー。クワイエット・ライオット版のヒットでスレイドにも注目が集まり、84年にはスレイド自身の新曲「ラン・ランナウェイ」がヒットした(これもいい曲だった)。クワイエット・ライオットは84年、新アルバム「コンディション・クリティカル」で再びスレイドの曲「クレイジー・ママ」をカバーし、シングルカットしたが上位には届かなかった。

(洋)