故佐原真さん=1997年撮影(資料)
故佐原真さん=1997年撮影(資料)

 青森県南部の民謡で祝い歌の『南部俵積み唄』の歌詞に、約千キロ離れた出雲が登場する。屋敷の主人が、米俵などを蔵に積む「俵積み」のためやって来た人に出身地を尋ねると<私の国はナアコラ出雲の国の大福神 日本中の渡り者コラ俵積みの先生だ>。遠い地の民謡に出雲が登場するのが面白い。

 唄の元は、民家を訪ねて芸を披露する「門付け」の語り唄。岩手県境にある三戸(さんのへ)町の明治生まれの男性が、町内の門付け芸人の老夫から聞き、節がついて1960年代に広く歌われるようになった。歌詞と同様に、老夫も出雲から流れ着いたという。この逸話に思い出すのが古代の壮大な交流だ。

 80年ごろ、三戸から約20キロ離れた八戸市にある是川(これかわ)遺跡をはじめ、東北各地で弥生時代前期の土器が出土。九州を起点に広がった遠賀川(おんががわ)系土器で、山陰の海岸周辺で発掘された土器と製作技法が完全に一致することから、考古学者の故佐原真さん(元国立歴史民俗博物館長)は86年秋、「京都北部から出雲に至る山陰海岸の人が移り住んで、技術を伝えた」とする新説を発表した。

 その道程は日本海を舟で北上したと考えられており、海流に乗った文化の往来は、想像するだけで胸が躍る。

 その後、佐原説は覆されていない。出雲と青森は古くから縁があるのだ。となれば「俵積みの先生」も老夫も、日本海側を転々として青森へ着いたのだと想像し、また楽しい。(衣)