新型コロナウイルスの感染が急拡大する中、何のため誰のための大会なのか。もやもやした気持ちのまま東京五輪が始まった。偏屈な性分のせいか、開会式や競泳のテレビ中継を見ていても、どこか熱くなれない自分がいた。「割り切って楽しめばいい」とは思う。しかし、米大リーグで本塁打を量産するエンゼルスの「二刀流」大谷翔平選手(27)を応援するようには感情移入できそうにない▼もちろん、競泳の池江璃花子選手(21)ら日本勢の活躍は気になる。ただ今回の五輪は、開幕までに政治的な思惑が絡む印象を植え付けられた。スポーツの魅力の一つは、真っ白な洗濯物のような爽やかさにある。政治の手でいじり回されると手あかや染みが付いてしまう▼それでなくとも国別の対抗戦とも言える五輪は「国威発揚」の場として政治利用されやすい。今回のように、開催国の国政選挙が近いとなれば、なおさらである▼その点、同じコロナ禍でのスポーツ中継なのに大谷選手の場合は、余分なことを意識せずに手放しで楽しめ、応援できた。これが本来のスポーツだろう▼テレビや新聞が伝える「五輪感動物語」は、いよいよ佳境に入る。より多くの人たちが真っ白な心境で、選手たちのそんなストーリーに感情移入できるといい。それには五輪に限らず、政治とスポーツの間にも、適度な距離を保つ「ソーシャルディスタンス」が必要だ。(己)