旧大社駅を一日限りの映画館にしたイベントのトークショーで駅舎の魅力を語る篠田正浩監督=2014年7月25日、出雲市大社町北荒木
旧大社駅を一日限りの映画館にしたイベントのトークショーで駅舎の魅力を語る篠田正浩監督=2014年7月25日、出雲市大社町北荒木

 妻と密通した男を夫が報復する女敵討(めがたきう)ちは江戸時代、私刑として認められていた。1717年、松江藩でも事件が起きた。藩の茶道頭の妻が男と出奔。2人は40日後に大阪で見つかり、夫に討たれる。この事件を近松門左衛門は人形浄瑠璃『鑓(やり)の権三(ごんざ)重帷子(かさねかたびら)』として作劇する。

 その際、事実と違って密通はぬれぎぬと脚色した。主人公は器量が良く、武芸にも秀でた松江藩小姓の笹野権三。戦のない世で出世を願えば、藩では茶道で名を上げるしかない。権三は秘伝の書を見せてほしいと師匠である茶道頭の妻に頼み、ある交換条件の下に許されるが、不運に見舞われ…。

 「近松は松江藩において伝統的な教養、文化を中心的に担う人々の心に思いをやり、彼らが何にこだわり、悩み苦しむのかを作中に書き込もうとした」と島根大法文学部の田中則雄教授(国文学)は推測する。

 現代人には理解し難い武士や妻の一分に加え、土地柄を踏まえて物語を追えば、見え方が違ってくる。その微妙な愛憎の念を映像化したのが、先月逝去した篠田正浩監督。1986年公開の『鑓の権三』は出雲大社参道や松江城もロケ地に使われ、同年のベルリン国際映画祭で銀熊賞に輝いた。

 同作の下見で訪れた出雲市の旧大社駅に魅了され、97年公開の『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』には駅舎が登場する。見えない文化や歴史も映像に残した巨匠を作品鑑賞で追悼したい。(衣)