<襟裳の春は 何もない春です>。森進一さんが歌った1974年発売の『襟裳岬』は、暖炉や人のぬくもりが「ある」のに、あえて「何もない」としたところに妙があった。作詞は米子市出身の故・岡本おさみさん。
そんな日本人の奥ゆかしさを感じる表現がさらに減るかもと危ぶむ。理由は国際化と学習力のある人工知能(AI)の普及。言葉の真意や深みが解されず、額面通りに受け取られて情報発信されたら損だ。
広島県はかつて自虐的に「おしい!広島県」とうたう観光キャンペーンを展開した。厳島神社やお好み焼き以外に名所名物は多いのに知名度が低い。ぜひ目を向けてとPR。それが2年前のG7広島サミットで国際的な注目度が高まったのを機に「おいしい!広島」と直球勝負の新文句が登場した。
これなら海外でもAIにも誤解されないだろう。自虐PRはどこもするようになり、新鮮味も薄れてきた。とはいえ、聞いた瞬間に肯定か否定か真意不明の表現を“忖度(そんたく)する”時間が楽しかっただけに、直接的になったのは「おしい!」。
ひねった物言いは、海外でも英文学によくある。乱暴者を「実に優雅な人じゃないか」と評したり、「モーツァルトは歌詞が最高」とちゃかしたり。国際化やAIの普及で受け手や情報量が増えると、中身の奥行きが失われないかと心配になる。頭の体操になる名言珍言を少し意地悪な顔でかみしめたい。(板)