俳人松尾芭蕉が江戸・深川から「奥の細道」の旅に出発したのが、旧暦の1689年3月27日。新暦なら今頃の時期だ。旅の初めに詠んだのが有名な<行く春や鳥啼(なき)魚の目は泪(なみだ)>。春を惜しむだけではなく、見送る人々の心情も表している。
かの芭蕉、実は忍者で、東北・北陸を巡る奥の細道は幕府の密命を受けた隠密の旅だった、という説がある。伊賀流忍術発祥の伊賀上野(三重県伊賀市)出身で祖先や師匠が忍者だったかもしれないことや、5カ月で約2400キロを徒歩で巡った健脚ぶりが根拠。
面白い説だが、三重大の研究者らによると忍者説を裏付ける痕跡は存在せず、可能性は低いという。真偽はさておき、先日訪れた伊賀流忍者博物館で伊賀忍者の特性を知るにつれ、時を超えて人の心をつかむ芭蕉は本当に忍術を会得していたかもしれない、と想像を巡らせた。
忍術は武術や策略に加えて、心理学や天文学、医学、薬学など戦いに直接必要でないものが圧倒的に多いそうだ。忍びに気付かれないための人の睡眠の研究、山中に潜んだ際の水源の見つけ方、天気予報はもちろん、フェーン現象まで予知する方法を知っていたとか。特に伊賀忍者は呪術に秀でていたという。
それに比べ、利便性の高い技術を享受する現代人は退歩していないか-。そんな思いを抱きつつもカーナビを設定し、伊賀上野から次の場所へ移動したわが身の情けなさよ。(衣)