昭和時代に活躍し、黒電話として親しまれた「自動式卓上電話機」(国立科学博物館提供)
昭和時代に活躍し、黒電話として親しまれた「自動式卓上電話機」(国立科学博物館提供)

 古き良き昭和の家庭を描いたエッセー集『父の詫(わ)び状』は向田邦子さん(1929~81年)の代表作。登場する、情は濃いが不器用で家族を怒鳴り、手を上げる「父」は多くの家庭にいた“昭和のおやじ”で、特に共感を呼んだ。

 自宅への電話や手紙も絶えず、反響をまとめたエッセー『娘の詫び状』に「見ず知らずの方が、電話の向(むこ)うで、一時間にわたって自分の父親を熱っぽく、時にはうるんだ声で語って下さった」とある。

 最初の2、3日は感動して耳を傾けたが、抱えていた脚本の締め切りが迫ってからは「いずれ」とわびて切るようになったとか。エッセー集が発表された1978年当時、個人情報の管理はまだ緩く読者との距離は随分と近かったのだ。熱い反響の電話は書き手冥利(みょうり)に尽きるだろうが、今では素直に喜べなくなった。

 先日、本紙読者投稿欄「こだま」に載ったある投稿に感銘を受けたという人から、書いた人とぜひ話をしたいと仲介を頼む電話が担当部署にかかってきた。書き手の了解を得てつなげたとはいえ、見知らぬ者同士、トラブルに発展する懸念もある。官公庁の担当者などを装った「詐欺電話」も絶えず、見慣れぬ番号からの電話は出るべからずのご時世だ。

 幸い、仲介は“成功”に終わり、ラブコールの受け手は「自分の文章で心が動いた人がいた」とさらなる投稿意欲をかき立てられたよう。うれしい電話もまだある。(衣)