民間事業者が所有する滑走路跡=出雲市斐川町出西(小型無人機で撮影)
民間事業者が所有する滑走路跡=出雲市斐川町出西(小型無人機で撮影)
民間事業者が所有する滑走路跡=出雲市斐川町出西(小型無人機で撮影)

 太平洋戦争末期に建設された西日本最大規模の旧海軍飛行場・大社基地滑走路跡(出雲市斐川町出西)について、約2万7200平方メートルを所有する出雲市の民間事業者に対し、市が自ら持つ土地との交換を提案したことが8日、分かった。跡地内の市有地約2900平方メートルを提供し、民間事業者から同程度の土地を得たい考え。平和学習の場として活用する。 (月森かな子)

 滑走路跡地は約9万平方メートル(全長約1500メートル、幅約60メートル)がコンクリート舗装で、管理する国が、民間へ売却してきた。往時の姿を残すまとまった土地としては、映像・音楽ソフトレンタル業を手掛ける「アリオン」(同市今市町)が今年2月に購入した2万7200平方メートルが最大。市などと協議しながら、活用策を検討する考えを購入時に示した。

 専門家らが島根県教育委員会や出雲市に対し、総合的な学術調査や県指定史跡としての保存を要望。市は戦争の記憶を後世に伝えるため、民間事業者による開発前に土地の記録保存に向けた調査を計画。開会中の9月定例市議会に調査費1千万円を計上した。

 最近の新型コロナウイルス感染拡大の影響で、広島県内への修学旅行を見合わせ、平和学習を目的に滑走路跡などに訪れる市内外の小中学校が増加。身近に戦争があったことを伝える場所として、注目が集まっている。

 市は、市有地よりも民間事業者の土地のほうが保存・活用に適していると判断したとみられる。

 大社基地は本土決戦に備えて旧海軍が1945年3月に建設を始め、約3カ月で完成。当時最新の爆撃機「銀河」が配備された。滑走路周辺には爆撃機を隠すための掩体(えんたい)や魚雷庫、爆弾庫などの施設も造られ、一部は現存する。