「記事を書くのは自由だが、潤色しないでくれないか。重要なことなんだから」-。山陰合同銀行(松江市)と、旧ふそう銀行 (鳥取市)の合併計画が公表された1990年、関連の本紙連載記事を担当した筆者に、山陰合銀の深野和夫頭取(当時)がこんな注文を付けた。合併の裏話をできるだけ生々しく、と当方の筆に力が入り過ぎたせいか、当事者にとってはうがち過ぎと受け止められたのかもしれない▼83年から9年間、山陰合銀頭取を務めた深野氏が先月16日、96歳で亡くなった。神奈川県出身で日銀から転じた。「合銀は戦前、山陰両県あまたの弱小銀行で予選トーナメントを勝ち上がった銀行同士が合併してできた。だけど、お山の大将ではだめなんだ。もっと外に出て行かないと」と話していたのが印象深い▼人口全国最少県と2番目に少ない県を営業地盤とし、有力企業も少ない。金融機関にとって恵まれない環境なのに、安定した収益力を持続する経営のこつを考えてみた▼山陰に閉じこもる「山陰モンロー主義」から脱して広域営業を深掘りする深野路線の下で、着実に人材を育てた成果を理由に挙げる人は多い▼「当時ぺいぺいの私らにとって怖い存在だったが、行員の視野を広げた」と同行の石丸文男会長(67)は振り返る。法律、コンピューター、英語力。どれも玄人はだしだった。潤色抜きに故人をしのんだ。(前)