今月1日、89歳で亡くなった作家の石原慎太郎氏が東京都知事だった頃、都内にある日本プレスセンタービルのトイレで出くわしたことがある。講演で訪れた石原氏は用を足した後、洗面台でうがい。「がらがらがら」と聞こえよがしに喉を鳴らし、そのボリュームは周囲の空気を破るようだった▼喉の健康を守るのに思い切り音を立ててどこが悪い、と「がらがら」は訴える。それはそうだが、気の小さい筆者なら、もう少し周囲に遠慮がちになる。そんなちまちました配慮を蹴散らし、やりたいことをやり、言いたいことを言うのが、この人の真骨頂▼伸び伸びとやんちゃと強気が同居した押し出しの強さ。そこに保守政治家と「価値紊乱(びんらん)」の文学を加えると、自称「暴走老人」の生涯が描ける▼ちまちましたことを嫌う性分は都知事時代の仕事ぶりにも発揮された。部下が上げてくる文書は1枚にまとめ、簡潔明瞭を旨とする。長々とお役所言葉を並べた報告書などは「煩わしいから、読まないことにしている」と講演で石原節▼戦後しばらく政治と文学は水と油の関係だった。政治は世の中の世話役に徹すべしというのが、文学側の言い分だったが、文学者と政治家の間を行きつ戻りつ物議を醸した石原発言は数知れず。それでも自分の地位を失うことはなかった。「あの人の言うことなら」と世間に寛容さを醸し出す「石原ブランド」が逝った。(前)