国会議事堂近くに建つ衆院議長公邸=東京都千代田区永田町
国会議事堂近くに建つ衆院議長公邸=東京都千代田区永田町
「麹町永田町外桜田絵図」(部分)。赤坂御門右に「松平出羽守」の名前がある=東京都立中央図書館特別文庫室所蔵
「麹町永田町外桜田絵図」(部分)。赤坂御門右に「松平出羽守」の名前がある=東京都立中央図書館特別文庫室所蔵
井戸枠と松江藩のゆかりを解説する細田博之衆院議長
井戸枠と松江藩のゆかりを解説する細田博之衆院議長
国会議事堂近くに建つ衆院議長公邸=東京都千代田区永田町
「麹町永田町外桜田絵図」(部分)。赤坂御門右に「松平出羽守」の名前がある=東京都立中央図書館特別文庫室所蔵
井戸枠と松江藩のゆかりを解説する細田博之衆院議長

 細田博之衆院議長(島根1区)が日頃の公務を行う東京・永田町内の公邸は、島根県と深いゆかりがある。敷地にはかつて、松江松平藩主が江戸に滞在する際の拠点としていた上屋敷が建っていた。公邸内には、徳川家康から初代藩主の松平直政が受け継いだとされる井戸枠が残る。 

 1864年発行の「麹町永田町外桜田絵図」を開くと、赤坂御門を入ってすぐ右側に「松平出羽守」の名前が記されている。隣接するのは、徳川御三家の尾張、紀伊など名家の屋敷。江戸城に近いこの場所は親藩や幕府の重臣が屋敷を構え、地位の高さがうかがえる。

 初代藩主・直政は家康の次男・結城秀康の第三子として生まれ出羽守に任ぜられた。上屋敷を構えたのは2代藩主の松平綱隆。現在の衆参両院議長公邸を合わせた敷地に建っていた。江戸における「本宅」で、政務活動の中心として藩の総合事務所の役割を担っていた。敷地からは富士山を眺望できた。

 松江松平藩には、分かっているだけでも赤坂の上屋敷をはじめ、隠居や跡継ぎが暮らす中屋敷、別荘として使う下屋敷、百姓地を買い得たお抱え屋敷が計17カ所あった。

 国会議事堂などとは異なり衆参両院議長公邸は一般公開しておらず、警備上の都合からメディアの取材もほとんど入ることはない。衆院議長公邸側は1万9千平方メートルで、地上2階、一部地下1階の建物は1961年に完成。公邸、私邸部分に分かれている。

 松江松平藩ゆかりの井戸枠は私邸の裏庭の一角にある。言い伝えによると、もともと家康が駿府城(静岡県)で使っていたものを直政がもらい受けて移設し、使っていたとされる。

 「徳川家康駿河城内居 金水輪 慶長十三年戌申四月大安日」と彫られ、1枚の巨大な岩をくりぬいた2メートル四方で、重さは約2トン。明治~昭和ごろまで使用できていたとされるが、現在は枠のみが残っている。

 細田氏は地元から客が訪れるたび、井戸枠へ案内し、松江藩とのゆかりを解説。「茶人として知られる不昧(ふまい)公(7代藩主・松平治郷)もここで水をくんでいたのは確かだ」と話している。

 公邸では日頃、各種の陳情を受け付けたり、海外から要人が来日したりした場合の接遇などを行うほか、議長が主催する会議も開いている。

(白築昂)