社会学者の清水新二奈良女子大名誉教授によると、死に方にも序列があるという。病死や事故死などと比べて、自ら命を絶つ場合は社会的な偏見が向けられ、劣位に置かれているとみる。死に方に対するイメージが暗黙裏に形成される社会的風潮の中で、語り語られることを忌避しており「封印された死です」と指摘する▼オンラインによる清水氏の講演を交えた「しまね自死遺族フォーラム」が先ごろ、江津市で開かれ、会場に足を運んだ。取引先の無理な要求に応じて多額の借金を重ね、責任を一人で背負って先立った自営業の夫、担任教諭の暴言に傷ついて自ら命を絶った高校生の妹、勤務先で長時間労働とパワハラに追い込まれた息子…▼島根県内の5人の遺族がそれぞれの立場で体験を語ったが、ほとんどが口をそろえたのが、「なぜ事前に気付いてやれなかったのか」という自責の念と悔しさだった▼本人が発するSOSをどうキャッチするか。「風呂場で大泣きした妹が死ぬ直前、満面に笑みを浮かべたのが忘れられない」と振り返る女性の言葉が重かった。あの笑みが最後のSOSだったかもしれない▼「自死対策強化月間」の3月に、一般参加を求めて開催しているフォーラムは今年12回目。最初は体験発表する遺族の顔が客席から見えないよう仕切りを設けていたものの現在は取り払われた。語り合うことで封印された死が解かれる。(前)