広島市内のお好み焼き屋の老店主に、先の見えない新型コロナウイルス禍の影響を尋ねると、返ってきたのは「原爆は一瞬。コロナはじわじわ。どっちもやれん」という思いがけないたとえだった▼「つらい過去」と照らすことで浮かんだコロナの厳しい現状。この言葉を聞いた1年半後にまさか、毎日ニュースで「戦争」を見聞きするようになろうとは▼帝国主義や植民地時代もこうであったのだろうと思わせる、ロシアのウクライナ侵攻から1カ月余り。この間、よく自問自答した。ロシアの政府系テレビのニュース番組の生放送で「戦争反対」を訴えた番組編集者の気概が、一体自分にどれほどあるか。資源大国相手の経済制裁が、翻って国内の物価高を招き持久戦となれば、音を上げてしまいたくなりはしないか。何ができるのか▼広島勤務時代、通勤ルート沿いの広島平和記念公園をよく歩いた。人生で初めて訪れたのは小学6年の修学旅行。核なき世界の実現までともされ続ける「平和の灯」が、大人になった頃に消えていてほしいと願ったことを覚えている▼今も、コロナ禍を縫って連なる貸し切りバスの列。児童たちと並んで、あらためて灯のそばの原爆死没者慰霊碑前に立ってみた。碑の中央部にある、死没者名簿が収められた石棺には<安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから>と刻まれている。願い、誓い、考え続けたい。(吉)