新型コロナウイルスで島根、鳥取両県出身者の帰省が困難になって久しい。15年ほど東京で暮らしたが、古里の味や言葉が時折恋しくなった。そんな時に通ったのが、都心の「出雲」という居酒屋。出雲出身の店主があご野焼きを出し、延々と出身者の功績を講釈してくれた。店主は15年前〝定年〟を理由に店を閉じた▼止まり木がなくなり寂しい思いをしていたら、程なく岩手出身の知人が「松江の魚を出す店がある」と紹介してくれたのが高円寺にある「ボカン亭」だった。店主の日野泰彦さんは松江出身で、故郷の鮮魚店が厳選した魚を定期的に仕入れ、看板メニューにしていた▼ヒラマサやアジなど脂の乗った青魚の刺し身は山陰で当たり前だが、赤身が主流の首都圏では珍しい。コブダイやカサゴ、ヤガラといった市場に出ない魚が入っても、持ち味を生かして調理してくれた▼8席のコンパクトな店内には島根出身者だけでなく、近所の人やアニメ、芸能、音楽で活躍する創作者が集まっていた。野球と大相撲、アイドルに詳しく、業界関係者の社交場のような空間で、山陰の地酒と魚を出して楽しませた▼その日野さんが3月14日に亡くなった。前日まで元気に店を切り盛りしていただけに誰もが驚き、55歳という若さでの急逝を悼んだ。店は妻の康恵さん(48)が引き継ぐ。飲食店は厳しい局面が続くが、都会の止まり木を守ってほしい。(釜)